記号学会・その後

 案の定室井さんのブログからトラックバックが拒否され、「別なおもちゃで遊んでなさい」とか書かれちゃいましたね。

 室井さんが狙っていたことは、BLという作品ジャンルの内容を語るのではなく、それが表象するものが現実においてどんな意味と可能性を持っているのかを語ることだった、ということはまあ分かりました。だからBLの内容自体についてはあまり吟味する必要がないということも分かりました。非常におおざっぱな言い方をすれば、室井さんはBLを「外部の視点から」「分析的に」見ようとしていたのでしょう。今回の問題は、その見方がBLを「内から」見る見方、客観化できないほどBLが個人の抑圧や経験と結びついている人の見方と対立したから生じたんでしょうね。まあ室井さんが言うには「その場に居合わせなかったものは黙っとれ」ということなんで、この衝突についてはどうこう判断することはやめておきたいと思います。

 ただ、ブログから読み取れる室井さんの姿勢には引き続き疑念を呈していきたいと思います。BLというものは、読む者の個人的な抑圧やトラウマと多かれ少なかれ結びついているものです。最近は抑圧やトラウマと関係なく、単に娯楽として、室井さん言うところの「データベース的」に読む人が出てきていることは否定しません。ただ現在の腐女子腐男子をめぐるポリティクスにおいて、「腐」であることはいまだに解放されたものではなく、おおっぴらにするにははばかられるものです。そして自分が「腐」であることを隠すことの裏には、その人の個人的な抑圧やトラウマ、周囲の状況への不適応や齟齬があります。「腐」であることがばれてしまうと、周囲との齟齬が発生すると大いに予想されるために、彼女ら/彼らはばれないように必死で「擬態」するのです。BLという作品ジャンルはそうした人たちが楽しむものであり、よりどころにするものです。ですからBLの背後には、多くの非常にセンシティブな読者がいるわけです。
 そうした状況の中で、内容に踏み込むことなく、表出されている記号でBLを分析しようとすることは、BL読者に対して、極めて配慮の欠けた行為だといえます。読者にとって、BLに描かれた様々なストーリーや展開は、それぞれ自分の抑圧やトラウマやセクシュアリティと密接に絡み合ったものです。そうした価値観を共有しない人が、外部からBLを分析しようとすることは、読者にとって重大な「侵犯」または「横取り」であるととらえられるでしょう。私が前回のエントリで「搾取」と書いたのは、そうした心情を指しています。確かに客観化・抽象化しないと学問的な分析はできません。しかし対象によっては、ドライな客観化や抽象化をするにはふさわしくないものがあります。BLはまさにそうした領域です。
 私はフィールドワーカーなので、室井さんとは学問的な方法や立場が違います。別の専門の人に何を書いても意味がないのかもしれません。「やり方が違うから」で終わりになっちゃいますから。ただ私の仕事は、BL読者、ひいてはおたくが抱えるそれぞれの抑圧やトラウマをひとつひとつ読み解いていき、どんな変化が起こったかという全体像を明らかにしていくことです。そうなると室井さんのような無遠慮なやり方は本当に困るんです。
 もちろん一人のBLを愛好する「腐男子」としても疑念を示したいと思いますが、なによりアカデミックな領域の端くれにいるものとして、室井さんのBLの扱いに強い疑念を示しておきたいと思います。